ようへいの日々精進XP

よかろうもん

初老を前に雑に振り返る半生とこれから

ども、かっぱです。

はじめに

11/8 に 40 歳を迎えるということで、なんか色々と思うことを雑に書いていきたい。ちなみに、40 歳という年齢については人生 80 年の折り返し地点、2 回目の成人式、そして「初老」という言葉について検索してみるとかつては 40 歳くらいの人たちのことを指していたとのことで、初老を前にというタイトルで書いていくことにする。


初老とは

www.nhk.or.jp


時系列

0 〜 10 代

メモ
1975 鹿児島枕崎にて生まれる
1984 父の仕事の都合で屋久島に移住、やんちゃな時期を一番良い場所で過ごす
1987 鹿児島に移住、この頃に奥さんと同級生となり初恋→実らず
1988 鴨池中学校に入学、持久走大会で一番になったことをきっかけに陸上部に入部、以後三年間走り続ける
1990 陸上 3000 M 走で全国大会に出場、全国の壁は厚く予選敗退
1991 鹿児島商工高校(現:樟南高校)に入学、以後三年間走り続けるものの全国レベルの大会には出場出来ず(走ってた記憶しかない)
1994 日本体育大学に入学、以後二年間、箱根駅伝出走を目指し走り続ける

20 〜 25 歳位まで

メモ
1997 拒食症になり入院
1998 大学をなんとか卒業

以後、25 歳まで入退院を繰り返す。

25 〜 35 歳まで

メモ
2001 上京して某スタートアップ企業に Web デザイナーとして入社、東京葛飾区金町に住み始める
2002 〜 自称インフラエンジニアに転身、金町の「居酒屋よっちゃん」に通い始める、よっちゃんで出会った人たちとトモダチになる
2007 ベンチャー企業に転籍
2011 奥さんと 23 年ぶりに出会い交際開始

35 〜 現在

メモ
2012 入籍、結婚
2013 ベンチャー企業を退職し、某ベンチャー企業にジョイン
2014 ベンチャー企業を退職し、現職にジョイン、福岡に移住してリモート勤務を始める
2015 現在に至る

総じて

特にキツかったのは

  • 高校、大学時代、好きで始めた走ることがこんなにキツイとは思わなかった(走るという行為そのものではなく、高校や大学の名前を背負って走るということ)
  • 20 歳前後から発症した拒食症、怪我をして走れなくなったので食べないことに逃げた、症状がひどくて死んでしまいたいと思ったことがあった
  • 2015 年、体調もメンタルもダメになり 7 月からお休みを頂いていた

いつも誰かに支えてもらっていた

キツイ、確かにキツかったがいつもそこには仲間や家族の支えがあった気がする。特に拒食症で入退院を繰り返している時の家族の支えは忘れられない。この時に家族の支えがなければ今の自分は居なかったかもしれない。金町で過ごした日々、居酒屋よっちゃんに行けばマスターやお店の常連の人たちに愚痴を聞いてもらっていた。職を転々としているが、最初にジョインしたスタートアップの社長二人には大変お世話になった。また、それぞれの会社やコミュニティで素晴らしい仲間と出会い、困ったり、悩んだりしている時には必ず誰かに助けてもらっていた気がする。

そして、今は奥さんに支えてもらっている。今までどこにいたんだよって言いたくなる位に突然の再会から同居、結婚...仕事で悩んだりした時には必ず近くに居て話を聞いてくれてアドバイスをくれる。これから先何年生きるか解らないけど、仮に 40 年位生きるとして、この先 40 年一緒に入れるのが本当に嬉しく思っている。奥さん、有難う、そしてこれからも宜しく。

そしてこれから

そしてこれから。

40 歳という一つの節目なので大きめの目標等を掲げたいと思っていたが...

7 月から 9 月まで休職させて頂いていた。現職チームメンバーにはとても迷惑を掛けてしまい辞めるしか無いと考えていたが、チームメンバーに支えて頂きながら 10 月に復職させて頂いた。これからは一つ、一つ、小さいかもしれないけど目の前のタスクを黙々と片付けて迷惑掛けてしまった分を補填しつつ信頼を回復していくしかないと考えている。

そして、11/8 に福岡マラソンで初マラソンにもチャレンジすることにした。

www.f-marathon.jp

大学で箱根駅伝に挫折してから暫く走ることから遠ざかっていたが、少しずつ走りはじめて 10 キロであれば 35 〜 37 分位で走れる位までになってきた。でも、いつも目の前を走っている過去の自分の背中はいつも遠い。追いつけるはずも無いがいつも自分の背中を追いかけて生きてきたのかなって感じている。今回、キャンセルも考えていたが、福岡マラソンを走ることで過去の自分に追いついて追い越して、これからの半生の良いスタートが切れればと考えている。


ということで、これからも宜しくお願い致します。

初老丸洋平