これが今の実力
完走出来たのは沿道の応援やボランティアスタッフ、家族のおかげ。本当に感謝。ここから再スタート。
振り返り
ラップタイム
25 キロ以降、別人が走っているのではないかと思いたいけど、これも自分。
結果として京都マラソンの疲労を抜くことが出来ていなかった
以下、言い訳でしかないけど。
- 結果としてオーバーペース(体調に合わせたペース配分が出来ていない)
- 疲労の回復も実力のうち
- 京都マラソンの後、抜けていたと思っていた両足の疲労が抜けていなかった
- 左膝の痛み
冷え対策が出来ていなかった
昨年はどちらかと言えば暖かいレースだったと記憶していたが、今年はスタート直後から降り出した雨が冷えて、徐々に体温を奪っていった。T シャツと短パン、アームウォーマー、レッグウォーマーという格好ではペースが落ちはじめた時の冷えには対応出来なかった。
低体温症怖い
震えが止まらず、ストーブを抱いても体は全く温まることなくどんどん体が冷えてどうしようもなくなるのが怖い。
沿道の声援とボランティアスタッフ
足の痛みや猛烈な冷えに悩ませれている時に、救いとなったのは沿道の声援とボランティアスタッフの介抱だった。ペースダウンしてから何度か救護室に転がり込んでテーピングして頂いたり、暖かい飲み物を頂いたりしながらなんとか完走することが出来た。まさに、彼らのお陰でゴールすることが出来た。本当に感謝。偉そうな言い方かもしれないけど、完走は彼らへの恩返しなのかもしれない。
ゴールで待ってくれているひとたち
なかなかゴールしないので一度自宅に帰ってしまった奥さんと両親。奥さんの友人(よいっちゃん)のツッコミで再び走り出したことを知ったとのことだが、ゴールで待ってくれているひとたちが居るということも本当に心強く前に進むことが出来た。
ラストの 2 キロは沿道の父と並走した。足が痛い痛いって言っていた父の方が速いような気がした。自分が走りを始めた頃、父の背中を追いながら走っていたことを思いだした。本当に有難かった。
途中色々とあったけど
マラソンを舐めていたのは間違いないし、死にそうになって色々と気付きがあったので、今後のレースやトレーニング生かしていきたいと思う。
とは言え、無事に完走出来て本当に嬉しかった。一生、忘れることが出来ないマラソンになった。