tl;dr
ゴール出来るか怪しいですが、とりあえず走ってきます❗奥さんをはじめ、支えてくださった皆さん、今までありがとう。
結局, ゴール出来なかったけど別大マラソン 2020 を振り返りたいと思います.
レース KPT
Keep
- なんだかんだ言って 30 キロまでは走ることが出来た
Problem
- 背中が痛くて呼吸がし辛かった
- そもそもスタートするべきではなかったのかもしれない
Try
- とりあえず, 今は背中を治す
- 暫くは走れないので, その間に足も治す
言い訳 (でしかない)
スタート前からケガの連続でした.
- 12 月 中旬に右足太腿裏側の軽い肉離れ
- 忘れもしない 1 月 26 日から, 突然の背中の痛み
右足太腿の肉離れを抱えたまま鹿児島 30K を走り, その後, まともに走れるまで三週間くらい. 年が明けてからやっと走れるようになったと思ったら突然の背筋痛. 今日, 整形外科に行ったら背骨と肋骨の間の関節を痛めているとのことで満身創痍感に包まれています.
とりあえずスタートしてみよう
走り始めたら奇跡が起きて背中や足の痛みから開放されて, さらに自己ベストで走れるんじゃないかという, なんの根拠もない期待を胸に走り出すことにしました. 父と母, これまでそばで支えてくれた奥さんの為にも頑張りたい.
スタートして最初の 5 キロは予定よりも速いペース 19 分 40 秒くらい. でも, やっぱり背中の痛みは消えない. 解っていたことだけど, 背中が痛いと呼吸がし辛い.
最初の 5 キロが思ったよりも速かったので次の 5 キロはペースを少し落としつつ 10 キロ通過, 10 キロ過ぎたあたりから背中の痛みや給水時にむせたりすると更に背中の痛みが. 耐えられなくなって一旦停止. ストレッチとか色々とごまかしながら歩くくらいのペースで前に進みますが, どんどん後続のランナーに抜かれていきます.
どこで止めるか
他のランナーさんはどうかわかりませんが, 自分は一旦止まってしまうと後は滑り台を滑り落ちるようにモチベーションも下がって後はどこで止めるか, 止め時を探るためだけに走り続けることになります.
沿道の声援がとても有り難いのですが, この状態の自分にとっては苦痛になってしまい泣きそうでした. どこで止めるか, どこで止めるか, そんなことだけを考えながら 25 キロまできました.
奥さんや両親とは弁天大橋の手前で出会う予定だったのでそこまでは走るつもりで, 背中の痛みを和らげる為, 道路の真ん中で跪いてストレッチをしたりしながら走りました.
弁天大橋を超えて, 500 メートル程走ったところで...
リタイヤ
フルマラソン 9 回目にして初めてリタイヤしました. あっけないものでした.
ナンバーカードについているチップを外して役員のおじさんに手渡すだけ. 去年から一年, 色々と頑張ってきたことがあっさりとこんな風に終わってしまうのかという切なさと, 弁天大橋手前で応援してくれた奥さんや両親への申し訳無さで涙が出ましたが, 同時によくここまで走れたと自分で自分を褒めました.
背中の痛みに耐えながら, 徒歩でゴールとなる大分市陸上競技場に徒歩で戻りました.
忍び込むように陸上競技場に戻り, 既にゴールしているランナーたちの間を隠れるように歩き荷物を受け取り着替え. まだ, 2 時間 30 分前後くらいでゴールした選手しか更衣室にはいないので人はまばら. 自分はリタイヤ, この人達は完走, なんだろうこの格差は. 一瞬ですが, もう走ることを止めたいと思った瞬間でした.
さて
今回のマラソンは振り返る以前に, スタートすべきではなかったという思いがあります. 今朝, 病院に行ったら, 背骨と肋骨の関節を痛めている可能性があるとのことでリハビリが必要な状況です. とりあえず, 真面目にリハビリに通って出来るだけ早く完治するように努力したいと思います. そして, また, スタートライン立って必ず笑顔でゴールテープが切れるように走り続けたいと思います.
ただ, 今, 唯一言えるのは, 足が痛かった, 背中が痛かったとか結局言い訳で, 「これが今の俺の実力」ってことです.
最後に
別大マラソンに関わる全てのスタッフの皆さん, マネージャーの奥さん, 鹿児島からわざわざ応援にきてくれた両親には感謝しかありません. 本当にありがとうございました.